松本駅のホームに南三陸町の大きなポスターが貼ってある。今日これから行く所だ。縁みたいなものを感じながら、長野駅まで鈍行、そこから北陸新幹線〜東北新幹線と乗り継ぐ。本当は18きっぷ系の地に足の着いた旅行が好きなのだが、4日間しかないお盆休みを活かすためにはワープするのも仕方ない。初音ミクみたいな色をした「はやて号」を見ると、ワクワクしてくる。きっと素晴らしい旅になる。そりゃ、被災地を目の当たりにすることに気は重いけど。
仙台駅で仙石線の各駅停車に乗り換え松島方面へ。「終点」の高城町駅で下車。ここから先は鉄路が寸断されているのだ。自転車を組み立て、近くのスーパーで昼食の買い出し。ラジオからは流行りの曲が流れる。って潮騒のメモリーか。正午、サイクリングを始める。
海沿いの県道をゆくとあの跨線橋、あのカーブの東名駅がある。ニコニコ動画で伝説的作品となっている「トウナ ステイション」の舞台だ。ホーム以外が流されて、いろいろ壊れたままそこにある。今回の旅で初めて目にする津波の跡。
尤も、個人的に思い入れがあるのは次の野蒜駅。こちらは快速停車駅だけあって少し立派で、それだけ破壊っぷりも大きい。1995年に初めての長期サイクリング(2週間の合宿)で、青森から陸前高田を経てここが終着だった。1997年に茨城から福島浜通りを走った時もここが終着だった。さよならオレのターミナル駅。
石巻市では海岸から離れた道を走り、さほど津波の被害を感じなかったが、所々で仮設住宅群を目にした。北上川沿いに若干北上し、国道45号横山峠を越えると三陸海岸の南三陸町に入る。ここは田園地帯…じゃない、家が立ち並んでいた場所か? 南三陸ホテル観洋は高台で盛況のようだが、志津川の街に入ると。
えーっ!…思わず声が出る。壊滅的、じゃない、壊滅だ。コンクリートの基礎部分だけ残るが、どんな建物だったか想像がつかない。それが辺り一面に広がる。しぶとく残った鉄筋コンクリート製の建物も1、2軒あるが、最上階にいても助からなかったんじゃないか?「復興、復興」って言うけど何なんだよ。これじゃどうにもならないじゃないか。ガレキがあらかた片付いただけで進捗したと言えるのか。
国道には「ここから/ここまで津波浸水区間」の標識がアップダウン毎にあり、度々交差する気仙沼線の壊れた橋梁は、まるでタウシュベツの鉄道遺産のようである。BRT専用路としての工事が進んでいるが、もうレールが敷かれることは無いかも知れない。
歌津の街も根こそぎ。仮設商店街があって、Jリーグ全チームの旗が掲げられている。松本山雅FCもあり、寄せ書きがしてあるようだった。ここで夕食の買い出しを済ます。道中はこういった仮設商店街の他に簡易建築のコンビニも多いので、食料調達には困らない。
海風のおかげか猛暑期としては比較的涼しい旅路だった。所々で足を止めたし、平成の森キャンプ場に到着したのは18時前とちょっと遅め。自炊用具も積んだフル装備だが、食事はレトルト中心となる。
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