10月8日 出張もどき

10月8日 出張もどき

「鉄道の日記念きっぷ」という、10月前半だけ使える青春18きっぷみたいなものがあることを知り、大阪に用事があるので初めて使ってみることにした。3回分9180円也。 朝、列車の時刻に遅れそうになり、駅まで駆け足。今日は走れる体調なので、2kmそこそこで走り終えてしまうのが勿体ない。 松本駅からは鈍行の旅。小雨の木曽路はひたすら美しい。 夕方前に、大阪古市に到着。こちらの店の仕事をしばし復習する。姉の家には両親まで来てやがる。 (写真は古市だんじり)

9月7日 Zと書いて津と読む

昨夜はビジネスホテル(朝食バイキング付5200円)に泊まった。昔は駅寝とか当たり前だったのに、すっかりひ弱クンになってしまったものだ。
朝には雨も上がり、風は強いがいい天気。まずは津を少々観光する。歩いてみると結構都会だ。
伊勢神宮に向かうべく、JR線に乗る。しかし昨夜の暴風雨の影響で、次の松阪駅止まりになってやがる。まぁ近鉄線での振替輸送くらいしてくれるだろう。
が、列車は途中で急ブレーキ。「この先の踏切で陥没箇所があるとの報告で、暫く停車します。」…こういう“カンヅメ”状態をいっぺん経験してみたかったんだよね(?)。1時間20分後、やっと動き出す。
もういっそ、松阪牛だけ喰って帰ろうかしら、とも思ったが、元々今回の旅はフェリーで北九州へ行って、返す刀で安芸の宮島にお参りする予定だった。それが時化のせいで廃案になり、やっと副案の伊勢神宮にここまで近づけたんだ。「一生に一度は伊勢参り」を敢行したい。近鉄線に乗り換えて伊勢市駅へ。
駅から少し歩き、まずは外宮。これが?ってくらいアッサリしてる。もちろんそれだけでは片参り。さらに4km歩いて内宮へ。こちらは門前町が賑わっているし、境内もなかなかのもの。名物の赤福も食す(松本の百貨店でたまに販売されると行列になるんだよね)。バスで伊勢市駅に戻り、伊勢うどんも食べておいた。
かくして18きっぷの旅は終わりに近付き、今晩中には松本に帰れる見込み。旅に出る前は、ブロードバンド環境を何日も離れるなんてイヤで、往生際悪く完徹した有様だった。今は、お金さえ許せばまだまだ旅を続けたい気分である。帰って自由にインターネットできたとて虚しくなるだろう。
そういった意味で、本来の自分を少し取り戻せた、それが今回の旅の収穫だ。
(写真は伊勢内宮)050907_1419.jpg

9月6日 本州災難タン

昨夜はカプセルにした。夜行フェリーに比べると著しく趣に欠けるが、これも経験のうち。初めての私には判らない事だらけだった。
早朝新大阪に移動し、紀伊田辺行きの快速列車に乗る。和歌山を幾駅か過ぎるとガラガラになり、車窓には太平洋が広がる。今日はかなり波が荒れ荒れ。田辺や新宮での乗り換え待ち時間に海岸まで歩いてみるが、怖くて海に触れない。
飽きのこない景色の紀勢本線は豪雨地帯に入り、列車は徐行運転で遅れがち。伊勢市に向かうつもりだったが、津に移動。県庁所在地の方が安宿を探しやすいと思ったのだが…。
普通の田舎街だった。天気は嵐だし、ケータイの電池が切れそうだし、どうしようかしら。
(写真は尾鷲あたりの車窓)050906_1806.jpg

9月5日 心斎橋奇行

午前中は親戚の和菓子屋の店番。
午後には古市を離れ、電車で大阪中心地へ。今夜は予約しておいた二等寝台で、ワイングラス片手に豪華ナイトクルージングだ。
ところが、その北九州(新門司)行きのフェリーは、どういうわけか欠航だという。がちゃぴーん。
途方に暮れて、とりあえず天王寺から歩き出す。新世界を紀行したり、難波をウォークしたり。大阪の活気と歪みを垣間見る。何でこいつら働いてないんだろう。俺もだが。
「聖地」アップルストア心斎橋店にも寄る。ウワサの透明階段、登ってみたかったんだ。
そのまま心斎橋筋商店街を通り抜け、ミナミからキタに至る。梅田のヨドバシカメラで、何か欲しい物はないかとさんざん物色するが、わざわざ旅の途中で買うこともない(ER6iを探したが置いてなかった)。
さらにキタの繁華街を彷徨い、夜は更けてゆく。「自分はどんなに歩いても疲れない」なんて過信していたが、現実は両足が棒のようだ。
で、今晩の身の振りはどうしよう。もう歩けないよ、パトラッシュ…。
(写真は通天閣)050905_1428.jpg

9月3日 新快速はええよ やっとかめ

何だかんだとやることがあり、結局完徹のまま松本駅を出発。私のようなネット中毒患者が何日もパソコンを離れて大丈夫だろうか。ともかくねみぃ、鈍行の旅。
名古屋でキシメンを食い、姪の土産に森憎と木殺の小さな縫いぐるみを買っておく。
夕方、大阪古市に到着。以前三ヵ月だけ、必死こいて働いた土地だ。俺より姪の方が日焼けで黒いのがショックだ。
(写真は名古屋駅)050903_1226.jpg

8月10日 小海線はつらいよ

今日こそ青春18きっぷを消費するべく、朝6時半発のJRに乗り込む。山梨県小淵沢で小海線というローカル線に乗換え、小諸に向かうのだが、清里で途中下車。かつては「花の清里」と謳われタレントショップ等で賑わったリゾート地も、いまは寂しさつのるばかり・・・。と勝手にイメージしていたが、降りてみたらそこそこ賑わっていた。頑張ってるじゃん。
seisen清里と言えば清泉寮。聖ツンデレ教会(だったっけ?)の坂を30分ほど登るとある、え〜と、要は観光地。それより隣りのポール・ラッシュ記念センターに入館する。子供の頃から名前だけは知っていた、清里の父であり日本アメフトの父だ(細かい説明は面倒なので興味のある方はKEEPオフィシャルページを)。雨が降って来たので、野辺山まで歩く予定をキャンセルして、コーヒー飲んでうだうだする。
清泉寮と言えばソフトクリーム。行列まで出来てて物凄い勢いで売れているが、味の方は甘くて好みではなかった。駅へ戻りがてら、清泉寮パン工房で昼食を買っておく。
小海線に再び乗る。野辺山高原を越えると、ひたすら長くて退屈な路線だと思う。終点の小諸で下車。チャリでは毎回素通りしてしまう地だが、今日はここが目的地。すなわち懐古園。しかし乗り継ぎ時間が少ないので島崎藤村記念館とかはパスして園内を回り、それでも「寅さん会館」だけは寄る。壁に渥美清の年表が貼ってあり、1945年巣鴨中学校卒業、と書いてある。OBの間で「巣鴨卒はガセ」説が広がっていたので、やっぱり大先輩だったと確認できて良かった。他に、くるまやのジオラマや撮影に使った鞄などに感動。俺もフラフラ生きるぜ。
spatioまた小海線に乗って、小淵沢へ引き返す。ここから30分歩いてスパティオという温泉施設へ。8年くらい前に入った時にすごく気持ち良かったから、また入りたくなったのだ。ぬるめの露天につかりながら青空を見上げるのが最高。
松本に帰ったのが19時過ぎ。まだ今日は終わりじゃない。薄川で松本最大の花火大会がある。花火自体を楽しみに行くというより、ほとんど写真撮ってた…。ともかく長い一日だったし、充分に歩き疲れた。
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7月20日 コスモ豊丸

昨夜就寝前に、紙資源ゴミを整理していたら愛・地球博の広告を目にした。そうだ、万博に行こう。ケータイの待受けも長らくキッコロモリゾーにしてるし。
思い立ったら吉日作戦。寝冷えで体調が変だが、資源ゴミを出してから始発に乗り込む。ラッキーな事に今日から青春18きっぷが解禁である。博覧会と言えば20年前の筑波万博を思い出す。科学少年だった私は集めうる限りの情報を集め綿密な計画を立てていたものだが、今回はほとんど知識なし。どうせ計画通りには行かないんだ、行けば何とかなるだろう。
車窓に「寝覚の床」を眺めつつ鈍行を乗り継ぎ3時間半、万博八草駅で下車。4月にリニモだけは乗車経験があるので、今回は歩いて瀬戸会場からゲートイン。パビリオン云々にあまり興味は無いが、NHKが宣伝してるスーパーハイビジョンってのは見てみたい。ともかく今日の目的は、ひたすら歩き回って人ゴミの写真を撮りまくる事だ。

seto←見ろ!人がゴ(略)・・・ってほどは混雑してないな。しかしそれでも人気企業パビリオンは2時間待ち、いや200分待ちとか。どんな特殊な訓練を受けたらそんなに待てるのだろう。なんて思いつつ、何かの整理券をゲット。寝覚の床、もとい「めざめの方舟」15時からだって。ああそういえばこれも見てみたかった。あとゴンドラに乗り合わせた人の話では、今日は雅子さまがご来場あそばせておられるらしい。
スーパーハイビジョン目指して地図の真ん中あたりに行ったら、ここでも整理券を配っていた。「オレンジホール」?…11時50分から。どうやら当たりらしい。割と首尾よく中に入る事が出来た。
4320本の走査線と22.2chのスピーカーは、多分世界一のシアターと言えるだろう。ホールが暗くなって騒ぎ出す子供が居たが、まさに文字通り「泣く子も黙る」展開となった。富士山をメインに、美ヶ原から眺める月や黒部ダムの放水も含めて、立体映像よりもずっとリアルな体験がそこにある。映像は現実には敵わないと信じていたのに、分からなくなったぞ。しかしこれを見てしまうと、安物プロジェクターでホームシアターを…というのがバカらしくなる。むちゃくちゃお金を貯めて、スーパーハイビジョンを買いましょう。
オマケで冷凍マンモスの展示が見られたが、…え、これ?

veloあとはテキトーにふらふらしよう。フミヤの「大地の塔」でも見ようと思ったら、ご来賓がいらっしゃるとかで目前で閉め切られた。ま〜〜しゃ〜〜こ〜〜!…
気を取り直してエジプト館に入る。筑波万博の時、最先端技術であった立体映像のパビリオンが混んでてどうしても見られず、「空いてるから」と入ったエジプト館が小学生の私にはとてもつまらなく感じた。万博顛末記のマンガを描いてそれもネタにした。…なんて過去を忘れていた。さて今の私には、まぁこんなものかなと。

有り難くもない森林ゾーンに入り「サツキとメイの家」遠望などひたすら歩くが、暑くて脱水との闘い。昼食はカロリーメイト。15時になり「めざめの方舟」を見る。いかにも押井守監督らしいモノだったが、物足りなさもあり。
最後に「やっぱ万博と言えば立体映像でしょ」と思って超電導リニア館に寄る。筑波万博にも浮上式リニアモーターカーはあったけど、未だに実用化の目処は立たない。それでもこうやって「輝かしい未来」として古い技術で紹介するあたり、郷愁というか哀愁というか。

寝不足でバタンキューなので、終電まで粘ったりせずこれにて退散。手元に残ったのは4回分余った18きっぷである。

7月4日 夢の中

実家で取っている新聞は、最近はS。今朝の一面にはデカデカと都知事の主張が乗っていた。「日本の技術力経済力をもってすればC国なんかいらない」だと。「モッテスレバ」なんていう古めかしい表現が現代人に通用するのか心配になった。

長野県への帰りも急ぐ旅でなし、鈍行に乗った。あれ、自分にとって帰るとはどっちなんだろう。東京では、数は少ないけど人に会って話をした。みんな生きた言葉を話すのに、私は寝言ばかりだった。社会人としての経験をそろそろ本気で積みに行かないと、経済格差以上に人格差の取り返しがつかなくなっていく。
・・・とは思うものの、自分は自分がまっすぐと思った道だけを進む。ありゃ、aikoのアルバム名みたいな寝言だ。かなわねぇな全く。

松本駅で匠味十段を食って、アパートに帰宅。5日ぶりにブロードバンド環境復帰。だが、またしばらく口を聞かない日々が続く。悪天候続きで崖崩れが多いらしく、あまり山や峠を攻める気になれないかも。松本の梅雨は何もない梅雨だだ。

6月30日 上京の状況

また大寝坊。東京に行く予定だったけど一日延期すべきかな、と思って冷蔵庫を開けたら見事に空っぽだ。上京決定。
本数の少ない列車に間に合わすべく、ウチから駅までなるべくジョグ(バスは使わん)。持久力なんてこんな時ぐらいしか役に立たない。ただしそう急ぐ旅でもないし、途中下車の予定があるから鈍行に乗る。
kobuchizawa 列車に乗るとなぜかプリッツを食べたくなる。売店で買ってほうばりながら、雲に見え隠れする八ヶ岳、南アルプス、富士山を眺める。がら空き列車のボックスシートを占領して足を伸ばす。こんな旅が好き。
都内に入り、高尾で途中下車。クソ暑い中30分歩いて(バスは使わん)、東京霊園着。夕方5時を少し回って門が閉まりかけていたが、コッソリ入って墓参り。半年前に祖母が亡くなってからは初めてであった。
疲れたし遅くなったので、新宿も秋葉原も素通りして葛飾へ。実家は金町駅からさらに30分ほど歩く(バスは使わん)。いつもの住処から標高にして600mも下だし、温度も湿度も高くて空気がまとわりついて来る感じ。これが地元の匂いだ。

実家にもMac(iBook)があるのだが、プリンタの調子がおかしいと言う。それにダイアルアップ接続もひどく不安定で、このBlogの送信がちゃんとなされるかすら微妙だ。問題山積み。

5月23日 松本ナンバーが帰る

Mac周辺機器のネット通販店である「セレクション越後屋」を見に行く。そこは店舗というよりただの事務所で、しかも誰もおらず敗退。
夕方前くらいに長岡市を離れ、クルマで松本への帰途につく。天候が崩れて大雨にも遭うが、カーオーディオごきげんで、まったりと下道をゆく。高速を使う予定も却下し、5時間半くらいかけて信濃川のはるか上流、松本市に到着した。久々のクルマ遠出も無事に完了。よく往復400kmに耐えてくれた。
明日からは自分の足が頑張る番だ。

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