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8/27-28 畳平をタダ見だおまいら

前週の土曜、自転車でツールド美ヶ原のコースをアタックしたのだけど、旅の疲れとその後の不摂生で体調不良。半分しか登れずカフェピラータに引き返してぐったり、帰宅して寝込んでしまう有り様だった。

Niimura生活リズムを取り戻して27日、例によって自走で松本市内の乗鞍高原へ向かう。なるべく力を使わないように、と気をつけるがトンネル内やキツい登りはそうもいかない。ひねもす雨の予報ながら、あまり降られなかったのは幸い。全日本マウンテンサイクリングin乗鞍の受付に行くと、ランドナーが珍しいのかNBS長野放送のインタビューを受けた。喋るのが下手くそで電波には乗らないかもしれないが、目標を聞かれ1:20'切りと答えた。最後にそれを達成したのが7年前だった…。さて今年もチーム寿の常宿に世話になる。夕食にご飯3杯、飲み会では大量のナッツ類を口にしてしまう。上機嫌だったようだ。翌28日の朝食はご飯2杯半にとどめる。

北の前線と南の台風に挟まれ、ころころ変わる天気予報にこれほどやきもきしたことはない。果たして、まさかの晴天模様となった。風もなく、4年ぶりにフルコースでの開催! 場の安堵モードに対して、自分は3度もトイレに行くという惨敗フラグが立っていた。経験上、これは序盤から積極的に給水すればある程度リカバリーできるはず。ナッツが原因で引き返すわけにはいかないのだ。

Emp若い方のクラスを見ていないからかも知れないが、自分以外にガルパンジャージがいなくて寂しい。ラブライブや艦これは安定して存在している。今年からオッサンクラスとも言われる男子Eクラスにランクアップ(?)し、Dより若干早めの7時54分に号砲を受ける。

9年前の自己ベスト1:16'台を念頭に飛び出すが、どうにも心肺が苦しくてずりずり下がっていく。血圧計を入手してから時々計測していて、ツールド美ヶ原の頃より明らかに平常時の心拍数が上がっている、すなわち能力が低下しているのだ。それでも第1チェックポイントを過ぎて、パワーペダリングより気持ちケイデンス重点に切り替えたら、ようやく順位は上昇に転じる。インベタ主義が災いして心臓が苦しくなる場面も。抜きつ抜かれつしている方に、このペースで1:20'大丈夫なのか聞きたい気分。

Kenga第2チェックポイントを過ぎ、ハイマツ帯の位ヶ原に入ると目前に乗鞍岳剣ヶ峰が姿を現す。思わず声が出た。悪魔おじさんさんに「ランドナーがんばれ」と声を掛けて頂き、強気を奮い立たせる。大雪渓から先はかなり久々に走る道。間に合ってくれえと祈るような気持ちで標高2,716mの県境ゴールを通過する。手元の時計グロスで1:19'49"…自己ベストに遠く及ばずバンザイする程ではないが、積年の目標はぎりぎりクリアして、ホッとする。

Tatamiゴールエリアの畳平も気持ち良い天気で近くのピークに登山したくなるが、下山誘導員を仰せつかっているのでゆっくりしていると最後尾に回されてしまう。仲間との戦果報告もそこそこに、下山待機列へ。レースを一般参加者と同等に楽しみつつ、ボランティア気分も味わえる美味しい役どころだ。もちろんやるからには大真面目にやる。しかし下山誘導責任者が不在なのか機能していないのか全てがなし崩し的なので、独自の判断で例年通り下山先導車の後ろに付く。神経質に距離を保ちながら、先導車を煽ろうとするアホどもを怒鳴る…気力はなく、ハンドサインで制する程度。スタート会場まで下りれば開放され、サービスのリンゴを貪る。雨予報で現地入りすらしないDNSが多かったんだからどうせ余るでしょ。

記録証の発行を受け、正味1時間19分28秒594。反省点は多々あれど、目標をオーバーするよりはずっと良い。最後まで諦めずペダルを踏み込んだんだ。来年のチャンピオンクラス出場権を獲得!…ってそんな無茶しないけど。宿に戻って温泉、昼食、集合写真までが楽しみ。あとは自走での帰宅をこなして、夏が終わった。次戦は金沢マラソンとなるが、やはり一旦しばらくの休足としたい。

ところで去年9月の第1回ヒルクライム佐久の参戦記をアップ。今年は見送るが、陰ながら応援している。

8/15分 終走記念日

小千谷で迎えた最終日の朝。今日は自走で松本へ帰るか? 輪行の手間がなくて良いが、フル装備の自転車では長距離すぎてダルいな。そうだ、せっかく新潟県に来たんだから海へ行こうぜ。という訳で柏崎を目指すべく地図を調べてみると、途中に「千谷沢」という地名がある。これ、日本一有名な村だった「チャーザー村」のことではないか? ダムに沈んだはずでは…。

Chiyaという訳でさっそく、現「長岡市小国町千谷沢」を訪れてみる。和菓子屋さんがあるし、バスは一日一本と言わず数本は来るようだ。しかし林家こん平の出生地である痕跡は一切ない。隣りの塚野山集落には三波春夫の銅像があり、ボタンを押すと東京五輪音頭などが聴ける仕組みだと言うのに。

東側にあるもう一つの千谷沢集落から名無しの峠を越えると、道は今回の旅で初のダートに。越後広田から信越本線に沿って柏崎に到着すれば、会津下郷と日本海を結ぶ21年前の夢が静かに実現した。

Banjin温泉施設が開店する10時までまだ間があるので、蛇足の蛇足であるが日本海沿いに直江津まで走ってしまうことにした。電車賃も浮くし。しかし雲行きが怪しい。昨日まで好天に恵まれた旅だったが、あと8kmという所で土砂降りになってしまった。うう、濡れた自転車の輪行するのはブルーだなぁ。帰ってからいろいろ乾かしたり錆止めしたりする手間を考えると、柏崎で止めておくべきだった。終戦を遅らせると犠牲が大きくなるのよ、と反省する終戦記念日であった。

直江津駅からえちごトキめき鉄道としなの鉄道とJRを乗り継いで松本駅へ。こうして4泊5日、毎年恒例のお盆ツーリングとしては短めの旅程が終了した。限定使用とは言えスマホを携帯してしまったので、デジタルデトックスも半ば。けれど人気の山岳観光地も不人気の秘境も両方たっぷり味わえて、お得感溢れる道だったと思う。

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8/14分 奥只見湖をタダ見

Arai名残惜しく、檜枝岐村キリンテで連泊したキャンプ場を出撃。昨日は空荷の自転車で登った国道352号「橅坂」を、今日はフル装備で登っていく。これだけ空気が美味しいと、時々通るクルマは悪魔である。尾瀬御池(峠)を越えると「酷道」の趣で、熊が怖い。時々通るクルマは天使なのっ。

Boat樹海ラインと呼ばれる超秘境の真っ只中、金泉橋で只見川を渡ると新潟県魚沼市に入る。国道なのに沢が路面を横切る「洗い越し」が無数に現れる。雨の後は大変だろうな。奥只見湖の南端に船着場があり、丁度船が来る所だ。Nice boat。ここで十数名がバスに乗り換え尾瀬を目指すようで、「私も学生時代はランドナーで旅をしていたんだ」と声を掛けてくれる人もいた。ここから地図では湖岸道路のように見えるが、実際は3つの尾根を越える、厳しい道のりである。曲がりくねってなかなか直線距離は縮まらない。かつて一大鉱山街だったという銀山平に2軒の土産屋があり、新潟産コシヒカリモナカを買い食いして一休み。

Shioriまたキツい登り坂に入り、阿賀野川水系から信濃川水系へ変わる分水嶺を越えてもうひと登りで枝折峠(しおりとうげ)に到達。越後三山などの山々は雲に隠れ気味だが、非常にダイナミックな景観を縫う道を下りていく。先週末に枝折峠ヒルクライムが行われたコースで、今日も練習している人の姿がある。元々今回の旅は、ここらへんのヒルクライムやロングライドイベントの報告をウェブ上で散見して、興味を持ったことからプランニングが始まった。どちらかと言えば尾瀬はそのついでだったのだ。

かつてあまりにも秘境すぎて境界が定まらず、銀鉱脈が発見されてから係争が起こった。枝折峠が境界であるという会津藩の訴えは退けられ、只見川左岸は高田藩のものになったと云う。尾瀬も現在の県境から察するに、だいぶ沼田藩に取られてしまったのかしら? よほど力(金銀)がなかったんだろうなあと想像しながら、ようやくの人里、大湯温泉街に下りる。ここでキャンプが出来るなら、来年はヒルクライムに参加したい。

Longpan標高はだいぶ海面に近づき、平野部の暑さが襲う。道の駅ゆのたにで、ロンぱんソフトクリームを買い食い。ストイックだった昨日までとは一転して、すっかりスイーツ化。小出駅に到着すれば、予定の旅程は終了。ここから列車で帰っても良いが、米や燃料があと一泊分あるから、蛇足だけどあとちょっと走ろう。脳内プランでは南の群馬県へ線が引かれていたが、もうそこまでの気力はない。

三ヶ月前に亡くなった伯父が昔よく買ってきてくれた、小千谷ちぢみ煎餅という菓子がある。それが急に食べたくなった。国道17号を北へ、道の駅を伝いながら小千谷市に入る。あの水色の缶(近年は紙パッケージになったようだ)を求めて、土産屋やジャスコなど血眼になって探し回るがどうしても見つからない。仕方なく駅前の店で一番似ている煎餅を買いつつ聞いてみると、跡継ぎがいなくて休業されたんだそうな。諸行無常。

ここで日没コールド。高台の公園でゲリラキャンプとするが、寒かった昨日までと比べてかなり蒸し暑い。ほぼ無線封止で4泊目、旅人らしい自分に着地してきた。

8/13分 非の打ち所ない燧ヶ岳

National暗いうちに食事を済ませ午前5時、テント一式をキャンプ場に置いたままにして西へ500mアップのヒルクライム。朝焼けに燧ヶ岳がくっきり浮かぶ。今日はあの、東北地方の最高峰を目指すのだ。橅坂というつづら折りを攻略して、尾瀬御池ロッジ前に自転車を駐める。

Kumasawaトゥクリップのペダルにトレッキングシューズでサイクリングしているから、そのまま登山も問題ない。南へ歩いて行く。意外に急登だなーと呼吸を荒らげていると広沢田代、熊沢田代といった湿原の木道歩きになったりして、実に楽しい。お盆の尾瀬なんて超満混雑するんじゃないかと恐れていたが、この御池ルートはまばら。熊が出るほど閑散とはしておらず、丁度良い。

夏場の登山は朝早くのスピードが命。周囲の山はもう雲を被り始めているぞ。軽装備だしコースタイムの半分で三角点山頂の爼嵓(まないたぐら)に登頂する。尾瀬沼が眼下! はるかに日光の山々など、申し分のない雄大な景色にしばし見とれる。この山は噴火ピークがいくつかあり、西隣りの柴安嵓で東北最高の標高2356mを極める。広大な尾瀬湿原を見おろすならこちらが良い感じ。夏が来るたび思い出しそうな眺望だ。まだ8時過ぎだが、もうこの山にも雲が湧き始めてきた。

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俎嵓に戻って南へ御池岳、ミノブチ岳と下っていく。下山路はナデッ窪ルートが短絡だが「急坂の難路で登り利用が望ましい」と地図に書いてあるので、ここは空気を読んで遠回りな長英新道を選択。だんだんなだらかになるのは良いが、一合目標識から尾瀬沼に出るまでの距離が長くて堪える。すっかり脚力を使い果たしてしまった。昼食は袋入りカンパン。

ここから尾瀬沼を左回りする。尾瀬の木道には右側通行という、日本人には気持ち悪いルールがあるが、ここは郷に入っては郷に従えだ。流出口である沼尻(ぬじり)平は休憩所が去年全焼したらしく、焼け跡っぽさが残る。トイレは使えるようになってたが、尾瀬はチップ制だしもうちょっと我慢しよう。

Gunma沼尻川を渡ると群馬県に入るから、心してゆけ。木道が半壊しており油断ならない。三平下で正午の休憩とトイレ。北へ福島県に戻って長蔵小屋前は湧き水が飲み放題、ありがたい。平野家の墓に寄り道しつつ大江湿原を貫く沼田街道を行く。ここも尾瀬らしい風景のひとつ。名残惜しく沼山峠を越え、バス停に到着。

ここからの県道1号はバス専用路で、徒歩禁止。仮に歩くことができてもバスを選択したと思うが。御池ロッジ前で下車し、自転車でモーカケの滝に寄り道しつつキリンテのキャンプ場に“帰宅”する。時間と体力に余裕が出来たので檜枝岐の街に下り、燧の湯という温泉に入る。旅のメインディッシュを無事完遂した安堵と、明日の行程が一番キツイぞという不安を胸に。

8/12分 ダイナミックだいくら

Furusato福島県下郷町の大川ふるさと公園キャンプ場にて眠りかけた頃、高校生の男女6人位?がワイワイやってきた。テントの中から外の様子は見られず聞き耳を立てるしかないが、どうやら花火をおっぱじめるらしい。こういう安眠妨害はキャンプあるあるだし、花火くらい好きに楽しくやってくれたらいい。ふしぎなピラミッドパワーによって護られた我がテントに、ロケット花火が命中することはないのだ。しかし気がかりなのは、炊事場に置いといたコッヘルが消火用バケツ代わりに使われてること。だいぶ経ってから2人位がテントに近づいてきて存在に気付き「ヤバい、人いたよ…」という反応だったが、ノリノリの仲間を止める程でもなく。果たして翌朝、コッヘルが綺麗に洗ってあったのは「せめてもの罪滅ぼし」だったのだろう。

Daikura公園に設置してある放射線モニタリングポストが朝7時に起動、0.070μSv/hを表示する。南会津地方なんて東京墨東よりマシだろうけど、やっぱり若干高いな。それを見届けてからサイクリング開始。郡役所の洋風建築が残る田島の街から西へ、駒止峠への登りに入る。4サイドのサイクリストとすれ違う。こちらはフロント2サイドだが、いずれにせよ絶滅危惧種である。旧駒止峠への道は豪雨災害の影響で通行止だった。あの、鬼怒川氾濫の時の? 仕方なく会津高原だいくらスキー場を左に見て駒止トンネルを抜け、伊南(いな)へ下る。運動不足だから道の駅のソフトクリームは止めておこう。

Hisakawa時間つぶしに久川城跡を散策。手頃な広さの台地に空堀や土塁といった遺構ががよく残っていて、城跡好きなら想像力を掻き立てられる所だ。どう攻める、どう守る。伊南川の清流に沿って沼田街道を南下していくと、姓が3つしかないと云われる檜枝岐村に入る。ここで天気予報を確認するため、やむを得ず「旅の害悪」スマホを起動。うん、問題ない。2泊分の食料を買い込み、連泊としよう。駒の湯という温泉に入り、歌舞伎舞台などを見物しつつキリンテのオートキャンプ場地帯へ。

Hinoeその中で、設備が古くやや不人気な白樺キャンプ場を選択。他所だと自転車じゃ肩身が狭すぎるから、ここがいい。夜の星空は…また真っ暗になる前に眠ってしまった。

8/11分 四の五の言わずに会津下郷

Kinuお盆休みの初日、早朝の松本駅で輪行。6時8分ちょうどのあずさ2号で東京駅に下る。今回の旅は一応スマホを持参したが、原則として電源はOFFにしておく。それでも巨大広告の数々や、電光掲示板で誰某が金メダルを獲得、とか目に入る。何て情報量の多い大都会、そしてひっきりなしに行き来する電車とやかましいアナウンス。

上野東京ラインを使って常磐線北千住駅へ。ここで憧れの東武特急スペーシア、きぬ109号に乗り換え。荒川を渡り環七、毛長川、外環、武蔵野線、ルーラルパークラインと次々に郊外線を突破していく。何の変哲もない埼玉県の景色に興味津々。車内ワゴンのコーヒーを飲みながら、車窓は利根川を渡り群馬県をかすめ栃木県入り。いよいよ山らしくなってきて、下今市を過ぎると単線区間へ。鬼怒川温泉駅が終点だ。廃墟マニアにはたまらない街だが、グッとこらえてAIZUマウントエクスプレスという気動車でさらに北へ向かう。新藤原から野岩鉄道(やがんてつどう)となる。野性的でゴツゴツした印象の名称だが、単に下野と岩代を結ぶ意味なのね。

Shimogo山王トンネルで福島県入りすると、さっきまでの曇天から変わって絶好の晴天。路線は会津高原尾瀬口から会津鉄道となり、会津下郷駅で下車、自転車を組み立てる。ここは遥か21年前の11月下旬、太平洋から日本海へ向かうサイクリング部の合宿で、自走を断念して輪行した所。今回はさらに山へ向かう計画だからあの続きという訳じゃないけれど、ここをスタートとする。駅前の大坂屋という焼肉屋が懐かしいわ。昼の営業はないので、食事は近くのスーパーで買い食いにする。

Hetsuriで、予定としてはすぐ西へ向かい昭和村に泊まるつもりだった。しかし列車内で地図をみているうち、もっと俗々とした観光地を周遊したくなった。まず北へ、「塔のへつり」に寄る。浸食された川岸が塔の形をしていくつも並んでいる、というものだが夏場はちょっと判りづらいかな。

続いてけっこうな坂を登り、大内宿へ。茅葺屋根が並ぶ様は、信州の宿場町とは趣が異なる。暑いけど熱々の玉こんにゃくだけ食べて行く。ここから下野街道を南下し、中山峠を越えて会津下郷駅に戻る。ふるさと公園の様子を伺うと、その奥が無料のキャンプ場になっていた。これは穴場! 堂々のテント設営と自炊米炊きである。他に誰もいない。

Ouchiやがて暗くなってきて空を見上げてみるが、星の出はまだまだ。時々流星がスッと動く。真っ暗になる前にテントに篭り、まどろみ。だが問題はここから。簡単には眠らせてくれない事態に…。

(お盆休みツーリング分のブログは一日おきくらいに更新していきます。)

8/6-7 クラギ抱えてくらくら走れ

Gekimi自分らしさ満点の、自堕落な週末。土曜は昼前に目が覚めて、ゆっくり慌てて朝食?をとってからギターを抱えてジョギングに出る。4月以来痛むままの左足首は、休んでも何しても良くも悪くもならない。サポーターを買って付けてみたので、快方に向かえばと思う。それにしても気温35度ともなると、立ち止まればくらくらする。走っていたほうが正気を保てる不思議。片道距離は短くとも途中で塩水の摂取は欠かせない。標高千メートルの美鈴湖畔に着き、カフェピラータでしばらく扇風機に当たれば落ち着く。昼食を頂きギターサークルをこなし、下山もジョギングで。

久々のジョギングだったので筋肉痛な日曜も、大寝坊。テレビを付けりゃいつの間にオリンピックが始まっている。お、金メダルだ。ネット上では運営の酷さばかりが話題だが、選手がフェアプレーをするなら得られるものがあるだろう。午後から用事があるので、トレーニングは自転車で三才山集落から美ヶ原温泉に向かって美鈴湖越えをする程度。

いよいよお盆休みが迫るが、今年は6連休と少なめ。という訳で東北の南端をちょこっと走る程度に予定を立てた。例年ケータイ・スマホの類を持たず、ネットに引っ張り回され過ぎた心をリセットする機会にしている(自分は情報をコントロール出来ている、と思うのが一番危ない)。しかし今年は天候次第で登山も考えているので、基本電源OFFながら持って行こう。よほど共有したい事象があればツイートするかも知れないが、なるべく控える。ブログの更新も、帰ってきてから。

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