6/7-8 江戸川乱流

Ldoragon中央線東京週末フリー乗車券は最近「特急券は別売り」という形に改定された。取り敢えず鈍行の始発で松本を発ち、東京に下ろう。南武線を経て蒲田に着き、友人と昼食を摂る。別れた後、りんかい線を使って新木場へ。夢の島公園にある第五福竜丸展示館に寄る。吹奏楽にラッキードラゴン(福竜)という曲があると聞いて「あああれね」と言いたいが、小学校の社会科見学で来ている筈なのに殆ど記憶が無い。それが悔しくての再訪である。人類が狂った時代…あとちょっとだけ続くんじゃ。

乗鞍畳平から富士見岳までの距離を私はよく「東京駅の京葉線ホームから中央線ホームまで歩くようなもの」と表現する。今回京葉線ホームから総武快速線ホームまで歩いてみたら、これも想像以上に長かった。両国の自転車屋でランドナー向けグッズを幾つか買って、葛飾の実家に泊まる。録画を頼んでおいたBS1のラン×スマ長野マラソン編を観て、用事は済んだ。

Edohyd翌日、小雨に当たりながら中川沿いをジョギングする。新中川通水記念公園を経て北小岩で墓参りをし、江戸川の土手に上がる。最近の大雨で運動場が冠水している。そのための河川敷とはいえ、呆然と眺めている野球少年達が可哀想だ。水元公園は菖蒲まつりたけなわで、葛飾音頭が聞こえてくると、里心が付いちゃうじゃんか。19km走行。

あとはフリー乗車券の復路。高尾でも墓参りして、小淵沢でポンして特急券を付け帰松。

先日大阪マラソンの抽選を突破したため、今年のレーススケジュールがほぼ決まった。
3月 松本ランフェス10km…自己ベスト
3月 松本ロゲイニング5h…男子ソロ優勝
4月 長野マラソン…6年ぶりサブスリー
5月 車坂峠ヒルクライム…メカトラで凡タイム
6月 ツールド美ヶ原
9月 マウンテンサイクリング乗鞍
9月 赤城山ヒルクライム
10月 大阪マラソン
2回もフルマラソンを走るのは6年ぶりとなる。あとどこかにハーフマラソンやロゲイニングを入れたいが、もう年間8レースは自分的には多過ぎる状況かも。あくまでメイン趣味は自由な旅だからな。それと、最近自転車での練習に身が入ってないので、今から大阪マラソンを照準にした方がいいかな。決まったようで贅沢な悩みは尽きない。

2014/1/1分 船上のハッピーニューイヤー

DBSクルーズフェリーの貨客船イースタンドリーム号は、関釜フェリーのよりやや小振りで、一見豪華だがエレベーターがなかったりする。割り当てられたのは2ndクラス寝台8人部屋。そこは往路みたいに日本人オンリーで、旅の話や悪口で盛り上がるものだと思っていた。ところが同室に居るのは韓国人たち。あれ?

とりあえず早目に風呂を済ませ、船内探検を開始。3人のアテンダントのうち1人が日本語も話せるので、日本人がどれくらい乗っているのか聞いてみた。すると人差し指を立てて「外国人のお客様は1人だけですよ」と。大笑いしてしまった。ロシア人さえいないこの船、数百人みんな韓国人だ!サッカー日本代表が北朝鮮遠征で味わう以上のスーパーアウェイではないか。それも明日の朝まで…。

Depart往路フェリーで「DBSの食事はクソまずいぞ」と聞いていたが、旅のネタにメシマズは基本。いわゆるバイキング形式で、後がつかえてるので急いで皿にぼんぼん盛っていく。何だか良く分からないメシになって、とにかく辛いだけ。なるほど10000ウォンの価値は無い。お代わりもせず退散。後でアテンダントに味を聞かれ、曖昧に答えたら「朝もほぼ同じものが出ますよ」と教えてくれた。暗に「やめといた方がいいですよ」という意味だろう。いつの間に離岸、東海や三陟の夜景がゆっくり遠くなってゆく。さよなら。また来られるかな。

同室にも日本語をそこそこ話せる人がいて、分からない単語をマーキングしながらゴルゴ13を愛読している。「しょっぴく」とか分からないよね。もう一人、ほんの少し話せる人もいる。やがて飲み会が始まり、参加するよう勧められる。酒がとにかく苦手で、船酔いも怖い私はとりあえず遠慮する。しかしいよいよ断れない空気になり、一杯頂くことにした。まず一番若い私から韓国焼酎を注ぐよう促される。そういう風習。ええと、こうやって左手を添えるんだっけ。5人でカンパーイ。

まさかこんな狭い所で、韓国人たちと膝を突き合わせて飲むことになるとは。しかも奥の方に座ったから逃げ場がない。流れで対馬から竹島の話になり、隣の人が「◆○☆▲トクト(独島)×%*ウリナラ(我が国)◆○☆×%*▲‼︎」とまくし立てている。だが私に対して嫌ったり怒ったりする様子はない。主張はするがあくまでフレンドリーである。あとはただ聞いていたり、日本語の人に通訳して貰ったり。やがて韓国語オンリーの船内アナウンスが流れたかと思うとお開きになり「チャル モゴッスムニダ(ごちそうさま)」。したら表に出ろと。「花火 ハジマルヨ!」

Fireデッキにはダウンジャケット姿の人々。20時半に皆でカウントダウンすると、船尾から沢山の花火が上がり大歓声に包まれる。こんな間近で打ち上げられるのを観るのは初めてだし、なかなか終わらないし、感激した。まったく、鳥取県からの巨額な赤字補填を使ってこんな事を…とも考えるが、アテンダント曰く年の最終日だから特別なんだと。

0時に年明けの歓声がラウンジの方から聞こえた。私はそのまま寝ている。しかし部屋が暑すぎて3時に起き、宴会跡のラウンジに移動。船がけっこう揺れるので、かえって気持ち悪くなった。寝台に戻る。こうして朝を迎えパンの余りを食い、外のデッキに出る。何やらみんな手に風船を持ってわらわらと出てきたので、自分も一つ貰って来る。白み出す空に、思い思いに風船を放っている。おいおい、日本の海を汚すなよ…と思いつつ一緒にやる。(竹島が日本へ還りますように) あ、右の方向に陸地が視える! 我が祖国だ。普段そんなこと考えもしないくせに…左目から涙がこぼれる。

これが、旅だ。

Sunrize日の出時刻からやや遅れて、雲の層の上に太陽が顔を出す。日本人はね、こうやって初日の出に手を合わせるんだ。島根半島がどんどん近づき目と鼻の先。あそこまで行けば、自転車で走った道が全国に繋がる。美保関沖を回頭すると鳥取側の陸地も見えてくる。靖国参拝を連想させぬよう、こっそり小さく美保神社へ向かって二礼二拍手一礼。海の上から初詣ってか? 船の前方には境港大橋、そして今ダイハツのCMで話題の江島大橋も遠望する。左手の灯台には釣り人たちの姿が。第一日本人発見!

アテンダントに呼ばれ、部屋にいる数人に「アンニョン ケセヨ、サヨナラ!」してロビーで待機する。定刻の9時から30分余遅れて境港国際旅客ターミナルに接岸し、下船順番はツアー客様が優先なのでわりと後の方。皆スパッツとか付けてるし、大山にでも行くんだろうな。入国審査の長い行列が帰国の感動に水をさす。最終関門の税関は、唯一の日本人客で当然目をつけられそうだし、油断を誘う若い女性係員だから緊張する。澱みなく笑顔で旅の目的などを答えなければならない。荷物の量は少ないし、デイバックと土産袋の上の方を少し開けられた程度で放免となった。ええ、と、、、これで自由だ〜!!

Gegege船内の免税店でも特に欲しいものはなかったし、両替で得ていた40万ウォンのうち11万が余った。まぁいいや。往路のフェリーで「DBSは鳥取県からの補助金が打ち切られて3月いっぱいで廃止らしい」という噂を聞いていたので、案内所に4月以降の運航について尋ねると「しますよ!」と強く肯定される。さてどうなるかな。シャトルバスの利用者は私一人で、JR境港駅まで移動する。日本語の標識、日本語の看板、日本語の会話。ぬるいなぁ? 駅前通りではちょうどゲゲゲの大行進をやっていてラッキー。JR境線は鬼太郎ラッピング列車が入線、これ乗ってみたかったんだ。車内アナウンスは高山みなみ・今野宏美によるもの。

ここからの旅は青春18きっぷ2回分による、普通の苦行。ただしすでに予定の列車より2本遅れているため、米子〜新見間は特別急行でワープする。しばらく地面が揺れている感覚に悩まされつつ、大阪で一泊して翌日松本に帰る。

旅で得たものは何だろう。やはり言葉が分からないことによる悔しさが大きい。私だって、日本語が全く分からない外国人が日本を観光してたら「舐めんじゃねーよ」と思うものだ。次の機会があるなら、もっとしっかりしたい。

あと、両国のネット弁慶な方々はともかく、少なくともこうやって行き来している人々に関しては、仲良くしたがっていることが分かった。「あっちの国は遺伝子レベルで劣っている」みたいな悪口のスパイラルは、自国の姿さえ見えなくしてしまうもの。幼稚な外交と、親韓嫌韓を煽ることで儲けるマスコミ。それらを楽しむのも良いが、取るべき姿勢は次の言葉に尽きる。

「国家憎んで文化憎まず」

あとは、元気な日本を探しに行きたい。

(これにて韓国旅行編は終了です。長文の連続になってしまいましたが、一部でもお読み下さった方、ありがとうございました。)

12/31分 東海から日本海へ

Chaga釜山まで来ても貧乏旅行癖は抜けない。昨夜5000ウォンで買ったパリバゲットの売れ残りセットが朝食になる。食べきれない分はまた明日にして、7時前にチェックアウト…受付のジジイ寝てるのでキーを置いてくだけ。地下鉄で南浦駅に移動し、日本建築が残るという乾魚物都売市場を歩き抜ける。昨日行きそびれたチャガルチ市場を観ると、港町の活気が溢れている。何で韓国人って皆元気なんだろな?

国際市場は諦めよう。また地下鉄に乗って北端の老圃(ノポ)駅で下車すると、釜山総合バスターミナルがある。そう、直接日本には帰らずに韓国北東部の東海(トンへ)市に移動するのだ。そこには日本海を渡るフェリー航路があって、今日ちょうどウラジオストク発の便が入港し、鳥取県境港市に向かって出港する。元々船に乗るのが旅の目的だったし、ぜひ利用してみたいじゃないか。…しかしローマ字案内がある高速バスと違い、東海へ向かうのはハングル表記しかない『市外バス』という種別。目的地までの切符を正しく買うことが出来るのか? 途中休憩で置いていかれたり、降りるバス停を間違えたりしないか? 今回の旅で最大の難関と位置付けている。

Bus窓口の運賃表を見ると、ネットで調べたのより値上がりしている。「チョギヨ トンへ ハンミョン(1人)」「(人差し指を一本立てて)한명? ◆○☆×%*▲?」「アホプシ…シパルブン(9時18分)」「◆○☆%▲」精一杯の言葉で、31900ウォンを払いチケットゲット。寝過ごしても大丈夫なように、東海を終点とする便を選んだ。途中で三陟(サムチョク)とムジョンチャ?って所に寄るらしい(追記:ムジョンチャは無停車の意味らしい)。朝の車内はキンキンに冷えてやがる。手袋をしてる人もいるくらいだが、三列シートはなかなか快適。さよなら釜山。バスはまず、高速道路をぶっとバス。

景色は、ハングルさえなければ日本とあまり変わらない。次の海外旅行は植生の違う所へ行こうよ。墓地は形は違うが沖縄のに似てる気がする。こういう車窓風景も旅の貴重な一分一秒だが、寝不足でついウトウトしてしまう。高速道路を下りても一般国道はまるで高速みたいな作りで、制限速度は80km/h。もちろんもっと出してるが、時々信号で止まる。こんな調子で東海岸を北上して行き、11時40分頃ドライブインに入る。アナウンスで「◆○☆%▲ オシボブン(55分)」と聞こえた。あれ、15分しか休憩しないようだ。トイレに寄って、売店を見て2000ウォンでコピを飲むくらい。

Tonghae三陟でだいぶ下車し、東海市に入って途中のバス停でも1人降りる。フェリー乗り場へはこっちの方が近かったな…まぁいいや、13時40分ごろ東海市外バスターミナルに終着した(4時間半弱)。どうせ市内バスとかタクシーとか使い方が分からないし、6kmくらい歩いてみよう。ちょうど市の中心部を抜ける形で、釜山と違って日本語案内なんて無いし、完全に韓国の街だ。いや、ちょっとロシア分がある。

どうにも腹が減って、CU(旧ファミリーマート)でフライドチキンとマックスコーヒーをレジへ持ってく。おばちゃん「◆○☆×%*▲?」??!、こうなったら最後の呪文を唱えるしかない。「チョヌン イルボン サラミエヨ(私は日本人です)」したら、さらに上機嫌に話してくる。自分が海外を旅する時は面白いガイジンたれ、と思ってたけど、今回は最後までダメなガイジンだったなぁ。チキンには韓国らしく辛いソースが付き、コーヒーは遠くチバラギ県の味。

街外れにある東海駅を見て、旅客船ターミナルへはあとちょっと。ところが地図通りの場所には壁しかない。もっと左? と思ったら海軍だし。ここで絶望してたら出国手続きに間に合わないぞ。焦って港湾施設の門番に方向を聞き、右のほうへ。やっと到着した。

Dbs無愛想なカウンターでチケットを購入。2ndクラスだがエコノミークラスの運賃117000ウォンでいいみたい。旅客収入はアテにしてないようで、ネットでもよく見る話だ。他に燃料金など15500ウォン。それでもここまでずっとお金の使い方が分からなかったので、だいぶウォンが余ってしまった。小さな土産屋を見てもピンと来ず、韓国ノリの大袋だけ買ってく。で、出国審査・税関へ。こっちはボディタッチで銃など所持してないか調べられる。こうしてDBSクルーズフェリーの貨客船イースタンドリーム号に乗り込み、ユーラシア大陸から足が離れる。

しかし本当の韓国は、ここから始まったのだった。

12/30分 釜山駅へ帰れ

11名用の船室は日本人部屋。案外やかましいが、旅の貴重な情報も転がってくる。一緒に女を買いに行こうとか、そういうのはあとでやんわり断ろう。レストランのキムチチゲ定食は子供じゃ食えないレベルの辛さだが、酸味と旨味があってとても美味しかった。夜行フェリー星希(ソンヒ)は対馬海峡を渡る。

6b117cd7b1ea49cabe60121a3792166f翌朝未明、もう街明かりが間近に見えてきた。いよいよあれが韓国だ。入港しても下船は入国管理局だかの出勤をしばらく待つことになる。夜が開ける釜山港の街。まじでクルマが右側通行で走ってら。さあ、審査・税関の時間だ。無事通過すれば正式に、晴れてユーラシア大陸に初上陸。おいらの歴史が、また一ページ。アキハバラー\^o^/のノリでプーサーンー\^o^/とやってしまう。まだ船揺れの感覚を残しながら。

早くも人の群れからはぐれ、とりあえず殺風景な湾岸道路を釜山駅へ歩く。喉が渇いたので自販機を使おうとしたら、両替で得た40枚の万ウォン札は使えない(レートは1000ウォン≒100円)。仕方無い、朝食がてら本場のロッテリアで「プルコギボゴセット チュセヨ(下さい)」。伝わったかな?あまり旨くない。で荷物を預かって貰おうと、駅前のプサンインモーテルにWEB予約を入れてある…が、わかっちゃいたけどこの国で予約はあって無いようなもの。それともジジイ、日本語良くわからない振りをしてるのか?したら若いのが来て「チェックインは14時からだから、荷物を預かりますよ」と。ありがたい。

軽荷になって今日はとにかく歩く歩く。まず北へ。道行くクルマは殆どヒュンダイかKIAまたはドイツ。で日本車は予想以上に見かけない。レクサスとホンダを1台ずつ発見しただけだった。やがて商業地の西面(ソミョン)。本屋で「チョギヨ シガクピョ オディイムニカ?(すみません、時刻表ドコデスカー)」とカタコトで聞いてみると「シガクピョ?◆○☆×%*▲!」と大きく横に手を振る。友人N君に聞いてはいたが廃刊の模様。日本ではベストセラーなのにね。言葉が通じただけで嬉しい。多分。

7d15fc820d7543b4b1a18f6667ba225bしかし何か食おうにも、どこでどう声を掛けたらいいのやら。もう疲れたよ…。東へ向かう道すがらやっと勇気を出して、3つ千ウォンのタイヤキ?の出店にチュセヨ。「◆○☆×%*▲?」戸惑ったが、3つでいいのかということらしい。陽気なおばちゃんだった。タイヤキはカリッと脂っこく、旨かった。 日本人が滅多に来ないような学生街でまた本屋を見付け、日本マンガの韓国語訳モノを物色。弱虫ペダルを自分用の土産に買ってく。いつか読めるようになるかしら。どこの街もやたらスマホ屋が多く、それ以上に「약」の字つまり薬局が多い。

85c5a87968e74fc5a15c1f85fe80cc7dやばいもう日が傾いてきた。広安里(クァンアルリ)ビーチからは横一文字の吊り橋が映える。夕景が夜景に変わる頃、やっと海雲台(ヘウンデ)ビーチに到達。カジノで遊ぶ時間は無いし、わざわざ割高な焼肉を食う気もしないので、出店のワプル(ワッフル)だけ食って地下鉄で釜山駅へ帰る。23駅分も歩いていたんだ。車内は皆、サムスンかLGのスマホを弄っている。

荷物を預けてあるとはいえ、部屋が確保してあるとは限らないから怖い。まぁ大丈夫だった。ジジイに4万ウォン取られる。WEBでは3万5千ウォンだったが、もうどうでもいいわ。部屋はダブルベッド。この国のモーテルは普通にビジネス・観光とラブを兼用している。布団のオンドル部屋じゃないが床暖房が効いて暖かい。無線LANもある。あとは値段なりに低グレード。

ゆっくり休む暇はなく、南へ走って南浦洞(ナンポドン)へ。チョンボクチュク、チョンボクチュク〜!N君オススメの済州家(チェジュガ)営業時間に間に合った。壁メニューに日本語もあるので「あわびのおかゆ下さい」。最初は味が分からなくて塩を振ってしまったが、やがてその濃厚な旨味に気が付くと病み付きになる。隣りの日本人達があわびバター焼きを沢山分けてくれたし。「ここで韓国のあわびを食い、これからロシアの“あわび”を食いに行くんだ!」って。釜山を訪れる日本人は皆“飲む打つ買う”しか考えて無い、韓国人にはそう思われてるかも知れない。

6eae46eb32404698ab8efda73373e3b7釜山タワーでしよっぱい夜景を見て、光復路(クァンボンノ)に繰り出すとイルミネーションが凄い。こうして歩いてるだけで楽しく、寝る時間が勿体ない。また出店で何か食おう。…やはり言葉も作法もワケ分からん。どうにか辛いジャンボ焼き鳥にありつき、もう一品。芋けんぴみたいなものをチュセヨ。で「サムチョンウォン」と言われたのにボッとして3万ウォン出してしまい、大恥。そんなに高い訳ないよ。「◆○☆▲イルボン◆○☆×%*▲!」と隣りのおばちゃんに話しながら、お釣りをくれた。日本人だと見抜かれてたし。 調子に乗ってたのが一気に冷めた感じ。

もう釜山駅へ帰ろう。芋けんぴ?をバリバリ貪りながらヒト気の少ない裏通りをトボトボ、あれ意外と治安が良いな。中国人街に入ると声かけが多くなり、退散。駅のロッテリアでアメリカノコピを飲み、一日を締める。

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12/28-29 海 笑み 忌み

西へ。松本から始まる青春18きっぷの旅は木曽の山中を抜け名古屋、さすがの雪景色な関ヶ原を過ぎて大阪に着く。姪たちに頼まれた買い物があるので梅田や阿倍野橋の街を歩き回り、少し足が棒になった。古市の姉宅で一泊。

翌朝も始発から、鈍行旅を続ける。ほとんど寝てるか旅会話の本を読んでるかだが、ふと車窓に目をやると山陽の明るい多島美が広がる。これでも旅情としては十分ではないか?

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夕方にようやく山口県下関に到着。ここから釜山行きのフェリーが出る。「♪海にお船を浮かばして 行ってみたいなよその国…」日本人なら誰もが皆、初めて歌った外国への憧れ。私にもついに実現の時が来た。海外なんか一生行かないかもと思ってたが、なんせ運賃が安い。18きっぱーは2等船室が半額の4500円となる。まるであずさ回数券だ。他に諸々の料金がかかるけど。

今日の下関発は韓国船籍の星希(ソンヒ)。年末最終便のため混雑するようだが大丈夫か? 夜行2等といえば、かつて乗った鹿児島〜奄美と奄美〜沖縄で奴隷船状態だった経験があるので、以来回避し続けているグレードだ。

それに旅先への不安をたくさん抱えている。最近悪循環が急加速している両国民感情も気になるところ。それでもこの、心の底から沸き上がるワクワクは国内旅行ではなかなか得られないなと。多少のトラブルは楽しむつもりで、生きて帰国しよう!

で、言葉がさっぱり頭に入らないままなんだが。

10/5-6 りょうかみとざんの雨と晴

三峰口駅前の鉄道車両公園土曜日、JR松本から長野・高崎・寄居・八王子を回って松本に戻ってくる切符を買った。新幹線で高崎まで飛ばし、八高線は気動車区間。寄居駅前の何もなさに驚きつつ、秩父鉄道のフリーきっぷを買って下り普通に乗る。野上でポンして急行券を付け、終着駅の三峰口で下車。初めて訪れる荒川上流域、さいたま県にもこんな山奥があったんだ。小雨模様のなか、鉄道車両公園にある古い貨物車や電気機関車を見学して回る。車両内に入れるところが良い。

あの花のキービジュアル、旧秩父橋秩父駅まで戻り、乗客は少ないけどサウンドは凄い蒸気機関車を見送り、道の駅で友人と落ち合う。ラーメン屋の見晴亭でちょっとケチャップが混ざるめんまちゃんめんを食い、秩父市内を歩いて巡礼。道から壁からセメントで塗り固められている町というイメージがあったけど、そんなことなかった。旧秩父橋まで行くと、ガチなコスプレイヤーたちが居る。

大野原から鉄道で秩父に戻り、食材の買い出しをして、小鹿野町のハマーズキャンプへ。ここのコテージに泊まる。ネット上に情報が少ないうえ入口看板もないので迷ったが、激安なのにサービスでタープ張ってくれるなど至れり尽くせり、客にアウトドアを楽しんで貰おうという気概に溢れていた。

基本暇人の私はともかく皆は働き盛りなので、4人の日程や希望をまとめるのに気を揉んだ。しかも直前になって宿泊予定の民宿にのっぴきならない事情が発生しキャンセル、涙目でハマーズキャンプに電話したのだけれど、結果オーライ。幸運は我と共にある。猛烈な量のカレーライスを食い、就寝。

日曜日、天気予報が悪かったので登山は諦めていたけれど、明けてみれば雨は上がっている。両神山決行へ。クルマで日向大谷登山口に行き、歩き始める。

だいたい乗鞍某宿でもそうだが、若い頃基準で飯を用意するもんだからたくさん残り、結局私が責任食いみたいになる。今朝も胃がたっぷんたっぷんで、それが不安材料。尤もみな何らかの不安を抱えての登山だ。

両神山の鎖場標高700mほどの緩やかなアップダウンから始まり、沢沿いに何度か渡渉しなからの急登へ。煉瓦色の岩石が多い。さらに清滝小屋を過ぎて尾根筋に入ると鎖場も連続し、短い距離で相当な標高差を稼ぐ。狛犬がオオカミな鳥居から緩急のち、日本百名山の一座である両神山1723mに登頂。好調なペースで登山口から3時間だった。

両神山頂の紅葉上空は青空だが水平は真っ白。富士山くらいは見えないかと期待したが残念。しかし周囲は紅葉が始まってて、良い山の雰囲気だ。軽く補給食をとって、下りも楽ではない。毎年のように死傷者が出る山なので慎重に。登りも下りも口々にキツイキツイ言いながらだったが、終わってみれば丁度良かったと思う。

両神温泉でさっぱりして、ロケット発射の準備をしている椋神社を過ぎたところの道の駅龍勢会館でピザを食い、解散。私は寄居から八高線の旅を再開、これで乗り潰したぞ。八王子から中央本線、大月でポンして特急券を付け松本に帰った。

みんな言いたい放題ながら、失敗しようがもたもたしてようが文句は言われない集まりが、年々貴重になっている気がする。またあるかしら。

9/14-15 万座で頓挫

浦倉鉱山軌道跡14日の土曜日。クルマで早朝の松本を出発し、上田から鳥居峠を越えて群馬県嬬恋村に入る。昨年5月に北西側の毛無峠・小串鉱山から山中深くに迷い込み、泣く泣く自転車を放棄した。その現場に南東側から向かうのだ。最大の目標は自転車の回収だが、「あんなものはヘリコプターを使っても無理だ」と思い込んでいたし、少々気が重い。むしろ同行のHA氏の方がノリノリである。

天候は今一つで、ジャージパンツを濡らす笹ヤブやトレッキングシューズを泥だらけにするぬかるみに阻まれながら、浦倉鉱山軌道跡の平坦路を進んでいく。トラロープを掴んで何とか渡れるような崩落箇所も多く、早々に回収を諦めるハラ。新川を渡渉して廃道度アップ。不動沢川に下りてからは自転車の死体を求めて沢登り開始である。時間はかかるが、飢えも渇きも怪我もない今回はまだマシと言える。

赤沢川の門赤沢川に分岐してさらに進むと、川が物凄い巨壁をくり抜いた独特の地形が門のように現れる。ここだ…。しかし裏山の探検隊さんをして「群馬のオーパーツ」と言わしめたそれは、跡形も無かった。増水時にどこか下流の谷底深くに流されたのだろう。正直ホッとした。もし見つかれば、気が変わって意地でも持ち帰ろうとした。自転車より命のほうが大事ではないか。

CL-11Vコンタクトポイント山に粗大ゴミを投げ捨てた罪は生涯背負うことになる。その罰が早くもやってきた。徒歩での山行は無事脱出したが、クルマで嬬恋ヒルクライムの舞台である万座ハイウェーを登り、温泉街入口の下り坂で強くエンジンブレーキを掛けたらストール。以降掛からなくなってしまった。あーだこーだ議論しつつ、良く分からない部分を開けて良く分からない部品を取り出したら、板バネが割れているのを発見。ガムテで繋げてみたらエンジンは掛かるものの回転数を上げられず走行不能に。これはクルマを放棄するしかない。ミイラ(自転車)取りがミイラ(自動車)になってしまった。温泉どころではない。長野市に宿をとってあるので、HA氏のクルマで上信スカイラインを越えてチェックイン。

たまたま持参したMacBookをネットに繋ぎ、部品について調べてみる。それはプラグに電流を分配するディストリビューターの、コンタクトポイントというものらしい。トラブルが多く、今時は廃止されているのだとか。要するにレアなオールドパーツであり、入手困難の恐れがある。翌9月15日の日曜日、開店時間が早いという理由でスバル信州の長野テクニカルセンター/部品センターを訪ねる。クルマはスズキアルトだが、同じ部品を古いスバル車でも使っていることを突き止めてあった。果たしてそれは発掘された。店の人が「まさか在庫があるとは思わなかった」と言うくらいの奇跡。私が新車を買うことは一生ないかも知れないが、もしあったらスバルにしたい。助かった。

万座温泉空吹とは言え私のドジは終わらない。万座に戻り部品の取付に掛かるものの、今日は指先がちっとも言うことを聞かない。コンタクトポイントを留めるネジがディストリビューター内の穴に飲み込まれ、取り出せなくなってしまった。もう一つのネジで何とか留まるので、それで騙し騙し走ることに。死んだと思われたクルマが生き返ったのはいいが、部品取付角度の微妙な調整がなっておらず、550ccのエンジンが300ccくらいになったかのように力が出ない。

毛無峠の巨大群馬県標識とりあえず恐れていた台風による大雨はまだ来ないし、やっと念願の温泉に入る。麓のセブンで日進舘の半額入浴券をゲットしておいて良かった。絶景の露天風呂だけ浸かっていく。その後また上信スカイラインを越えて、毛無峠に寄り道する。深い霧で小串鉱山はおろか峠の廃鉄塔も見えない。群馬県の巨大標識だけが不気味に目立つ。

須坂のホームセンターで磁石を買ってみるが、問題のネジは取り出せず。もうそれは無かったことにして、新しいネジを買ってコンタクトポイントを固定。相変わらず非力でオーバーヒートし易く、信号停止時はヒールでアクセルを踏んでおかないとストールする状態のクルマを、何とか国道19号で松本に運び終えたのは夜7時半。散々振り回したHA氏には感謝するしかない。

骨折り損のくたびれ儲けだが、これはこれで楽しかったのかも?

紹介遅れたが、全日本マウンテンサイクリングin乗鞍の自転車載映像をユーチューブにアップ。ニコ動向け編集はさらに大幅に遅れている。
→YouTube:乗鞍2013短縮コース(等倍速)

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7/6-7 千の葉になって

生まれてこのかた、夜行バスなるものに乗ったことがない。長野・松本から千葉行きの便があると知り、金曜の夜に初めて利用してみる。窓は完全にカーテンに覆われ、3列シートの真ん中では外の様子が伺い知れず。ダウンベストを着たので寒い思いはしなかったが、ネックピローも持ってくりゃよかった。
客の大半は女性、それも全員千葉ディズニーランドまでに降り、そこからは私だけになった。土曜の朝8時、堂々千葉の中央たる千葉中央駅前に終着。なんか亀有駅レベルだけれど。

Kiririn うだる寝不足感のなか、初めての千葉市観光。友人が急用のため、一人でポートタワーに登ったり、痛いフリーきっぷでモノレールを乗り潰したりすることになった。歴史を感じさせるものが少ない街だが、それだけ観光に伸びしろがあるかも知れない。それにしても関東の夏は暑さマシマシ湿度ムシムシだ。

葛飾区の実家で、録画を頼んでおいたNHK-BSの「ラン×スマ」長野マラソン特集を観る。これで東京に下った目的は果たした。翌日曜の朝、ジョギングでタイマン公園から水元サンダーロードを経由、千の葉が舞うマッドシティに少し足を踏み入れ、さいたま県三郷市もかすめて11.5km走行。

Ameyoko 昼は上野駅で友人と落ち合い、アメ横へ。あまちゃんテーマ曲が流れてきた時は「また選挙カーか!」と思った、わけない。御徒町のアートスポーツ自転車館で革製トゥストラップを補充し、秋葉原のヨドバシカメラではオラソニックのUSB一本接続スピーカーTW-S5を購入。
別れてスーパーあずさで帰松する。美ヶ原が見えてくるとワクワクする。これにてレース後の休養は終了、かな? それにしてはバテバテだけれど。駅に降り立つと、さすが信州は寒い。

ツールド美ヶ原の自転車載動画を、とりあえず等倍速編だけユーチューブにアップした。5倍速編を作るのはまだ日数がかかりそう。


YouTube: ツールド美ヶ原2013自転車載(等倍速)

1/4 あら、城 雪や

青春18きっぷの余りで頸城山塊をぐるっと一周するように、松本から長野経由で直江津に向かう。さらに糸魚川を経由し、小谷〜白馬間でいわゆる千国街道ウォークをする予定だった。しかし信越本線の列車が対向列車の遅れだのポイント故障だのオーバーランだのでgdgdとなり、新潟県の春日山駅で途中下車する。途端に凍てつく西風に襲われる。なるほど運行障害がでるわけだ。

Kasugayama そのまま歩いて春日山城に向かう。すると「大手道」を示す標識が左に出ている。これがメインなのかと突っ込んだら、とんでもない雪道だった。けれど一筋だけ踏み跡があるから、引き返したら負けかな。靴の中まで雪だらけにしながら、ようやく本丸に登り着いた。冬の高田平野や直江津港を一望する。

あとは春日山神社だけ参拝して直江津駅まで小走りし、数少ない普通列車に間に合わせる。どうせ今日はgdgダイヤだから発車も遅れるが。糸魚川から気動車の大糸線で長野県に戻り、南小谷へ。待ち合わせの間、小谷村役場周辺を散策する。

Aokiko 臨時快速「リゾートビューふるさと」、これに乗りたかったんだずっと。オール電化な区間に何故ハイブリッドトレインを走らせているのかは知らないが、18きっぷに指定席券だけ追加すればピッチ充分の豪華な座席に座れる。停車駅は特急より少ないが、ビューポイント毎に徐行。深々と降り積もる清き雪、青木レイクや木崎レイクを眺めながら食べるアイスクリームは格別だ。

松本で下車し、あとは買い物をしつつ帰宅する。徒歩計19.5km。

1/2 ラスト中井サムライ

軽く豊橋の街を歩き回ってから駅へ。あとはJR飯田線で松本へ帰るだけの旅である。
しかしこの年末年始、食えば疲れが取れるんじゃないかとばかりに甘い物を口にし過ぎた。よくダイエット法なんかで「一駅余計に歩いてみましょう」とか書いてある。

Kowadasta という訳で、本州最強の秘境駅こと小和田(こわだ)で途中下車。ここから歩いて隣りの駅を目指す。皇太子成婚ブームの名残りが朽ちかけ、また秘境感をアップさせているのが良い。ちょっと寄り道で先に小和田神社へ往復を済ませ、それからコンクリ舗装の徒歩道を登ってゆく。2軒ほど民家の敷地みたいな所を通るが、間違いなく駅前のメーンストリートである。不明瞭な分岐については予習しておいた。こんな山奥で遭難とかマジ勘弁。

1時間でやっと車道(天竜川林道)に着く。ガードレールが見えてホッとしたのは束の間、ここからも道は曲がりくねり、ひたすら長い。境橋を渡ると静岡県から長野県に入るが、とても「帰ってきた~」という気にはなれない。さらに高度を上げ、駅から標高差400mは登った。斜面にへばり付く小さな集落が点在し、はるか谷の下に天竜川や小和田駅が見える。わずかに霧雨が降っている。

Nakaisamurai ラストに茶畑のつづら折りを降りて、「隣の駅」中井侍に到着。4時間余りのウォーキングだった。ベンチに置かれたノートを見ると、他にも同じ事をするバカが度々いるようである。

電車だと同区間を5分で駆け抜ける。両駅や道中にトイレが無いから、次の列車が待ち遠しかった。今度こそまっすぐ松本に帰る。

12/26に病院関係でバタバタしたのを含め、怒涛の8日間をこうして終えた。体調管理が難しい季節に、ギリギリ耐え切れたようだ。明日はひねもす部屋で大の字にくたばっていたい。

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