ジーンズがゆるくて履きづらい状況が長いこと続いたので、いいかげん買い替えに行く。79から76にサイズダウン。坂馬鹿兼ジョガーとしてはまだ太いかも知れないが、長く使えるよう覚悟して体型を維持したい。ところでEDWINは江戸勝のことだというガセを今まで信じていたのはここだけの話である。
今日は長野県議会議員選挙の日。私の勝手な基準によれば、本来漢字である氏名をポスターで平仮名にしてあるのはポア。長野県の識字率を舐めんなぁ!
…それはともかくとして、大事なことは投票したという事実である。ちゃんと計算した訳じゃないけど、誰でも知人の知人の知人の知人の知人くらいを辿れば市区町村議会議員の一人はいるだろう。政治への関心は無くても結構だが、投票への関心があることを示せば、必然的に政治家はその周りからの人格要求が高まる。政治家稼業は落選すればただの人だからまともな人間が目指せる職業じゃないけど、だったら周りからじわじわ育てれば良い。逆に政治家のことをセンセイとかのたまうクズは死んでしまえ。センセイと言われれば気分が良いだろうけどね。
仮に私が投票に行かなかったらどうだろう。「どうせ俺なんかが行っても何も変わらないし」と。そういった負の感情は誰かしらに伝わる。「私もまじめくさって選挙に行ったなんてバカみたい」。その結果、政治は悪の組織票によって守られた議員と、およそ堅気とは言えない取り巻きによって好き放題にやられる。集めた税金を好き放題使うだけならまだいい。血を吐いて絶望したくなるほど無量の借金まで重ねて好き放題しやがる。まるで今の日本みたいじゃないか。…最低ね。
ぶっちゃけ投票先は誰でもいいだろう。要は政治家とその取り巻きに僅かばかり関心のベクトルを持つことである。その関心が人と人とのネットワークとして機能すれば、やつら滅多な悪事を働けなくなるだけでなく、国家や地方自治のあるべき姿が見えてくるかも知れない。
長々とらしくないことを書いてしまったが、私の主張をまとめると「選挙に行く行かないは自由だが、行かなかったらそれを開き直って当然のようにふんぞり返って正当化するのはやめろ、悲しむ人がいる」ということ。
ポカポカ陽気の日曜日、ジョギングにも出る。スピード持久力を鍛えるため、あづみ野自転車道の堀金往復コースを大きめのストライドで飛ばす。24.9kmを1時間52分(4'30/km)。初めて2時間を切れた。このスピードでフルマラソンを走れたらどんなに素晴らしいことか。しかし腕が痺れるほどスタミナを使い果たしてしまったし、実感としては無理。長野マラソンの目標は大町で出した自己ベスト(3:21')の更新になるが、あるいはさらに欲を出して失敗すべきなのか、まだまだイメージトレーニング出来ない状況にある。
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