10/13 それにしても乗鞍、ノリノリである

11月10日に埼玉県秩父市で行われる龍勢ヒルクライムに申し込んだ。例年自転車レースは2〜3程度なのに、今年はもう5つめかよ。そんな金と暇があったらツーリングすりゃあいいだに、でもイベントによる盛り上がりが欲しい気分なんだと思う。

しかし9月1日の乗鞍以降、ほとんどトレーニングらしいことはしていない状況。という訳で今日は乗鞍を登ることにした。クルマを使っちゃうと感動が半減すると知ってはいても、今は体力に自信がない。安直ながら松本市街から乗鞍高原まではクルマで移動する。先月起こした痛い故障は直りエンジンブルブル絶好調、カーオーディオも絶好調。

位ヶ原山荘付近より乗鞍岳を見上げる雲一つない青空のもと、一の瀬園地の駐車場からスタート。脚がヒルクライムの何たるかを忘れているし、こりゃトレーニングじゃなくてサイクリングペースだな。呼吸も追わず、ヒーメヒメヒメなどと口ずさめる程度でいい。紅葉は端境期らしいが、摩利支天バス停付近あたりはなかなか綺麗。時々チャリを降りて写真を撮りながら、レースでは悪天によるコース短縮で臨時ゴールとなった位ヶ原山荘を通過する。

日陰には昨夜?降った雪が残っており、そのせいかは判らないが穂高連峰は独特な灰色をしている。そしてやはり位ヶ原のハイマツ帯こそ乗鞍エコーラインのハイライト。人輪一体となって雄大な景色の中を登るのは楽しいものだ。最後の500mだけ本気出して、今年初めての畳平に到着。

乗鞍剣ヶ峰より位ヶ原、乗鞍高原、松本市街、浅間山方面西風が強いが、用意してきた真冬装備を着込むほどではない。補給食を摂って、小走りで肩の小屋に移動する。ここからは急な登山道だし、老若男女鈴なりなので歩き。トレッキングシューズがそろそろ寿命なのを気にしつつ、トップモストの剣ヶ峰3026mに登頂した。ここが乗鞍で一番いい場所に決まっている。360度の景観は、ずーっとここに居たい気分にさせる。まさに山の中の高山。

オマケの富士見岳を経て畳平に戻ると、夥しい駐輪とバス待ちハイカー。やっぱり自転車って自由で良いものだ(凍結通行止がどうのと耳にしたが、解除されてるっぽい)。自由もルールやマナーを守ってこそ。下りで突っ込み過ぎないよう注意して、一の瀬園地まで下山。手はかじかんでるけどお約束のソフトクリームを食べる。あとはクルマでらくらく、いやヒヤヒヤ帰宅。

トレーニングはこれでOK、ってわけにもいかず、目標が出来た以上、短い期間だがもう一頑張りしたい。

9/29 Y線上のアリアケ

カフェ・ド・ラペ付近より有明山いつか自転車で行こうと思ってた中房温泉へ。安曇野の長閑な田園風景を横断し、穂高温泉郷から県道327号「槍ヶ岳矢村線」を登っていく。名前から察するに、本気で槍ヶ岳直下まで車道を通そうと考えていた時代があったのだろう。クルマだと離合困難な道だが、自転車で走るぶんには悪くない雰囲気。

自宅から2時間半。駐車場に入りきれないクルマが溢れるような標高1400mの中房温泉に着いて、十分へとへと。だが来週に登山の予定があるので、その予行演習をしたい。ここから燕岳・大天井岳へは登った事があるので、今回は安曇富士こと有明山を目指す(写真右)。かなり急な道でロープを掴む場面も多く、時々立ち止まって呼吸を整えないと辛い。

有明山で登山道をロスト少しなだらかになって「登山口から1.3km、有明山まで1.7km」の道標あり。10時半という遅い入山だったが、このぶんなら不安はない。と思ったのも束の間、一般登山道とは思えぬほど道が不明瞭になる。あれ?でもテープの目印は続いているし、踏み跡がある限りは進む。やがて巨大な岩壁にぶち当たった。巻く道は見つからないし、こんなのどうよじ登れば…。何ルートか試してみるが、危険過ぎるしどうも違うっぽい。正午を過ぎ、引き返す勇気発動!

さっきの道標近くまで下りて、ようやく正規の道を発見。右に行くんだったのか、わかりづれー。それとも俺がバカなのか。登り直すにも、ここからコースタイム通りだと日が暮れてしまう。既にテンションが落ちてるし、膝も笑い始めている。せっかくの絶好天だが諦めて下山しよう。燕岳方面に比べて極端に人気が低いうえ、中途半端な時間に登り降りしたため、登山道では誰にも会わなかった。いつか、クルマアプローチでいいからリベンジを。

国民宿舎の有明温泉に入っていく。まず膝をアイシングしたかったし、ここの露天風呂は広くて好きだ。あとは自転車で信濃坂という若干の登り返しをクリアし、さらに大口沢経由の登りも追加して帰宅する。

有明山についてネットで調べてみたら、同じように迷った例がいくつかあり、初見殺しの運次第という気もする。私が余計な踏み跡を追加してしまったから、また迷う人が出てしまうかも。反省点としては、山にはもっと早い時間に入るべきだった。でも負け惜しみだが、予行演習としてはちょうど良いボリュームだった。

9/1 Don't you 位ヶ原

期待していたほど天気は好転しなかった。未明までの雷雨で路面状況が悪化しており、今年の全日本マウンテンサイクリングin乗鞍は位ヶ原山荘をゴールとする短縮開催となる。スタート時間も30分遅くなったが、その間にスタッフの方々がコースの安全確保に努めてくれたのだと思う。

Mikustart 宿願の1:20'切り復帰が、4年連続で失敗となり残念。しかしシリーズ戦順位アップのチャンスかもと、気持ちを奮い立たせてみる。チャンピオンクラスのスタートを見送り、1時間後に我らがD1組も号砲を受ける。
…調整不良の言い訳をすれば枚挙に暇がない。その結果として、集合会場で3度もトイレに行くなど悪走フラグが立ちまくっていた。ギリギリまで呼吸を追い込んでいるのに、すごく重い自転車を漕いでるかのようにスピードが乗らない。

三本滝の第1チェックポイントを過ぎ、もしやと思って苦し紛れにボトルの塩水を飲む。すると、ようやく脚に力が入るようになった。なるほど、自覚症状のない脱水状態だったのだろう。リズムを掴めばこっちのもの。マリアナの七面鳥のように撃たれまくった順位も、ここからは上昇に転じる。

Crystop このまま、最高所の畳平まで行ければなぁ。位ヶ原ゴールは58分05秒。仮に最後まで行けたとしても1:20'切りは叶わなかっただろう。また来年。…来年はあるのか。

下山で冷えきった身体に、宿の白い温泉が有り難い。昨晩、今朝、そして昼と、ほんとうにたくさん食べることができて幸せだった。これはレースのタイムより大事だから反省点とはしない。名残惜しくチーム寿の面々と別れ、自走で松本市内への帰途につく。

スタート前の給水の重要性を知ったのが今回の収穫。あとは経験則で走力を考える場合、年齢による衰えを考慮に入れるべき身体になってきたかと。

8/24 寒さの夏はオロオロ下り

何だかんだで20km以上の自転車走行が12日間続いてるし、輪行も負担だった。今日は完全に膝と腰を休めよう、と思ったが明日東京に下る用事が出来たので、やっぱり今日走る。

いつもの美ヶ原タイムアタック。フルキャンプ装備に比べて何て軽いんだろう、というのも序盤までで、脚力と呼吸力のバランスに苦心する。しかし「乗鞍前は今日で最後だ」という気持ちと涼しさに救われ、なかなかの集中力。タイムは1:29'17"と、大台に間に合って一安心。

Tettou 登りで涼しいということは、下りで寒いということだ。ウインドブレーカー等を持ってきてないし、ゴールしても足を付かずそのままUターン。身体が温かいうちに、という目論見だったがすぐキンキンに冷える。帰宅しても手がかじかんでて、30℃の室温がありがたく窓も締め切る。

ツールド美ヶ原が終わってテンションが下がり、お盆ツーリングで燃え尽きる、という毎年の条件は変わらない。残り一週間であと一回くらいは朝練に出たいが、基本は体調管理を再優先に、全日本マウンテンサイクリングin乗鞍でベストの走りをしたい。

8/18分 北上昼曲

猛暑続きで3泊ともテントにフライを掛けていないが、それでも昨夜は湿度が高くて寝苦しかった。朝までよく頑張った。少々の雨にも負けず、北上市街地へ下りて行く。二子集落を経て川沿いの自転車道を上り、やって来ましたイギリス海岸。しかし渇水期じゃないと独特の地形は現れないらしい。

Hanamaki せっかくだから花巻市街地をぶらついて行こう。城趾にある小学校の壁には賢治のシルエット。駅の観光案内所にはイーハトーヴ交響曲公演のポスター。チケットの売れ行きは微妙なのかな。自分だったら是非聴きに行きたいが。生家なども回り、東の街外れに移動。

最後のキッツい坂を登ると宮沢賢治記念館がある。展示を一字一句読む時間まではないが、妹との訣別あたりは切なくなる。旅の最後の贅沢として「注文の多い料理店」山猫軒でイーハトーブ定食を頂こう。角煮、天ぷら、すいとん。
新花巻駅でサイクリングは終了。帰路も新幹線乗り継ぎで、さすがのUターンラッシュ模様。自分は一ヶ月前に指定席を取っといたので余裕だが、旅の疲れかちょっと息苦しい。

その一ヶ月前の時間が無い時テキトーに考えたプランを、結局ほぼ踏襲する形の旅程となった。ヒルクライム趣味による体力があったからこそ、それを無理なくじっくりこなせたんだと思う。前半はネットやテレビ越しではない今の津波被災地を、後半は宮沢賢治の足跡を辿る旅。短いながら去年の小串鉱山や北海道にも劣らない強烈な思い出を残しそうだ。復興についてはこれからも考えていかねばなるまい。

北陸新幹線の上田あたりで美ヶ原が見えると、だいぶ近くに帰ってきたなーって気がする。特別急行しなので松本帰着。旅行中は少々のツイートとニュースのチェックくらいはしたが、基本的にケータイの電源は切っていた。デジタルデトックスは中途半端なまま、ネットと仕事の日々に戻る。

8/17分 夏油戦記

Taneyama キャンプ場から少し自転車で登り、さらに少し歩くと種山ヶ原の頂、物見山870.6mに立つ。どっどどどどうど どどうどどどう。早朝の涼しい風に吹かれ、残丘(モナドノックス)という岩との間を何往復でもしたい。なるほど宮沢賢治が幾度と無く訪れているわけだ。賢治三山のもう二つ岩手山や早池峰山も遠望し、後ろ髪を引かれる思いで下山。テントや荷物を回収して、牧歌の碑にも寄り道しつつ、盛街道を西へ下りて行く。「種山ヶ原の 雲の中で刈った草は〜」。

旅の疲れが回ってきたけど、これが一番やりたいことなんだ。

江刺の街を過ぎて北上川を渡ると、また登りに転じる。金ケ崎町の田園地帯を一直線に進み、千貫石森林公園キャンプ場に到着。ここで家財道具を降ろし、いざ夏油高原いで湯ラインへピストンだ。やっぱり空荷だと登り坂の1kmが早く過ぎ去る。気分は夏油高原ヒルクライム大会。

Getou 最深部に夏油(げとう)温泉がある。温泉好きなら一度は来たい秘湯で、元湯夏油には5つの露天風呂がある。一つは女性専用なので残り4つを下から攻略。最後の大湯は熱すぎて掛け湯が精一杯だが、いいお湯だった。きっと薬効もばっちりだ。また、人気のない山道を1km弱歩き、日本最大の石灰華も見物していく。

人柱伝説が残る千貫石溜池付近は、とりわけブユが多く悩ましい。虫除けスプレーがあまり効かないんだよね。キャンプ生活をしていると日に日に米を炊くのは上手くなる。

8/16分 ツールド種山ヶ原

平成の森は南三陸町歌津の高台にある運動公園だが、野球場とキャンプ場以外の広場はいま仮設住宅街となっている。他の仮設住宅群と同様に庭がなくて建ぺい率が高く、異様に密集している。早くマイホームに帰りたいだろうに、これからどうなるのだろう。

国道45号サイクリングは気仙沼市に入り、ふと小金沢駅に寄ってみる。ここもちょっとした高台で海岸の眺めが美しい…のだが駅は破壊されていた。海に向かって手を合わせる。

Shishiori 市街地の南気仙沼駅前は、また無言で立ち尽くすしか無い惨状。誰の遺品か、ジャケットやノートパソコンが転がっている。でも湾の方へ行くと、さすが日本有数の漁港だけあって凄い活気。破壊されたままの建物も多いが、いちいち復興なんて待ってられねぇ、使えるものから使おうという勢いである。6年前の三陸鉄道旅行で訪れた観光桟橋の跡には、港町ブルースの碑が傾きながら残存していた。
鹿折唐桑駅前は大型漁船が打ち上げられたまま。観光客を集めて向いのコンビニは忙しそうだが、まもなく漁船は解体されるらしい。

リアス式地形にも時間と体力を奪われつつ、岩手県陸前高田市に入る。懐かしきユースホステルの残骸と、松のオブジェ。いわゆる「奇跡の一本松」の保存には私も否定的だったが、賑いを見る限り成功している。こういう分かりやすい被災地ばかりに観光客が集中することの方を心配した方が良さそうだ。
昼食はホタテ定食にしたかったが、「こんの」は激混み。他にはラーメン屋しか見当たらず、いつもの菓子パンに落ち着く。海鮮モノは気仙沼で済ませておくべきだった。

Takata 陸前高田駅前は、もうほんとうに何もない。だだっ広いところに道路しかない。人口減少に悩みつつも頑張る商店街があった筈だ。歩行者用信号は音を鳴らしていただろうか。すべて大津波によって奪いつくされた。改めて、復興とは何なのだという疑問が浮かぶ。それでも、「絶対に諦めない」んだそうな。凄い。頑張れ…。

大船渡に回る副案もあったが断念。津波被災地を離れ、気仙川の清流沿いに内陸へ向かう。ここから旅の趣はガラッと変わるのだ。住田町の中心市街地を過ぎ、国道397号で坂が本格化してくる。

種山ヶ原。冨田勲×宮沢賢治×初音ミクのイーハトーヴ交響曲における歌い出しの地であり、今回の旅のクライマックス。尤も今日は疲れた。山頂などの散策は明日に回し、奥州市側にある星座の森キャンプ場にテントを設営。高田で買った三陸ブリ生姜煮をおかずに米を炊く。

8/15分 トウナからノビル道

松本駅のホームに南三陸町の大きなポスターが貼ってある。今日これから行く所だ。縁みたいなものを感じながら、長野駅まで鈍行、そこから北陸新幹線〜東北新幹線と乗り継ぐ。本当は18きっぷ系の地に足の着いた旅行が好きなのだが、4日間しかないお盆休みを活かすためにはワープするのも仕方ない。初音ミクみたいな色をした「はやて号」を見ると、ワクワクしてくる。きっと素晴らしい旅になる。そりゃ、被災地を目の当たりにすることに気は重いけど。

仙台駅で仙石線の各駅停車に乗り換え松島方面へ。「終点」の高城町駅で下車。ここから先は鉄路が寸断されているのだ。自転車を組み立て、近くのスーパーで昼食の買い出し。ラジオからは流行りの曲が流れる。って潮騒のメモリーか。正午、サイクリングを始める。

Touna 海沿いの県道をゆくとあの跨線橋、あのカーブの東名駅がある。ニコニコ動画で伝説的作品となっている「トウナ ステイション」の舞台だ。ホーム以外が流されて、いろいろ壊れたままそこにある。今回の旅で初めて目にする津波の跡。

尤も、個人的に思い入れがあるのは次の野蒜駅。こちらは快速停車駅だけあって少し立派で、それだけ破壊っぷりも大きい。1995年に初めての長期サイクリング(2週間の合宿)で、青森から陸前高田を経てここが終着だった。1997年に茨城から福島浜通りを走った時もここが終着だった。さよならオレのターミナル駅。

石巻市では海岸から離れた道を走り、さほど津波の被害を感じなかったが、所々で仮設住宅群を目にした。北上川沿いに若干北上し、国道45号横山峠を越えると三陸海岸の南三陸町に入る。ここは田園地帯…じゃない、家が立ち並んでいた場所か? 南三陸ホテル観洋は高台で盛況のようだが、志津川の街に入ると。

えーっ!…思わず声が出る。壊滅的、じゃない、壊滅だ。コンクリートの基礎部分だけ残るが、どんな建物だったか想像がつかない。それが辺り一面に広がる。しぶとく残った鉄筋コンクリート製の建物も1、2軒あるが、最上階にいても助からなかったんじゃないか?「復興、復興」って言うけど何なんだよ。これじゃどうにもならないじゃないか。ガレキがあらかた片付いただけで進捗したと言えるのか。

国道には「ここから/ここまで津波浸水区間」の標識がアップダウン毎にあり、度々交差する気仙沼線の壊れた橋梁は、まるでタウシュベツの鉄道遺産のようである。BRT専用路としての工事が進んでいるが、もうレールが敷かれることは無いかも知れない。

Utatsu 歌津の街も根こそぎ。仮設商店街があって、Jリーグ全チームの旗が掲げられている。松本山雅FCもあり、寄せ書きがしてあるようだった。ここで夕食の買い出しを済ます。道中はこういった仮設商店街の他に簡易建築のコンビニも多いので、食料調達には困らない。

海風のおかげか猛暑期としては比較的涼しい旅路だった。所々で足を止めたし、平成の森キャンプ場に到着したのは18時前とちょっと遅め。自炊用具も積んだフル装備だが、食事はレトルト中心となる。

8/13 鳥海BGMクラシック

Misuzuaug 自転車朝練で浅間温泉から美鈴湖へ、区間22'40"。明後日からが本番だし、今日はここまでにしておこう。
という訳で旅支度はまだ手に付いてないが、お盆休みにまた東北へ向かう予定。四連休しかないので18きっぷでのんびりというスタイルを取るわけにいかず、新幹線の乗り継ぎでワープする。
去年はデジタルデトックスとして七日間通信機器を持たずに旅をしたが、今回は余震が多いなど場所が場所なだけに、ケータイくらいは持って行く。ブログの更新は帰ってきてから追ってやっていく予定。旅行中に若干のツイートはするかも知れない。

その前にどうにか、Mt.鳥海バイシクルクラシック2ndステージ5倍速編のニコニコ動画アップロードが間に合った。BGMはまたイース、クーポン 曲のストックが切れそうだ。

8/10 長征800キロメートル

Takeshisouth 良い天気だし、ツールド美ヶ原のコースをタイムアタック。序盤から飛ばしたら息が苦しくなり、中盤はいつもより軽いギアで少し楽に進む。終盤また頑張ってみたけど、タイムは1:33'16"と寂しい結果になった。
すっかりヘトヘトで台上に行くような元気はないが、代わりに武石峰へプチ登山。ここから眺める美ヶ原山塊のスケールは、道路を走っているだけでは味わえないデカさがある。

街まで下りると、猛烈な熱風が吹き荒れている。しまった、ずっと美ヶ原に居れば良かったか。部屋の扇風機を今年初稼働させよう。

という訳でMt.鳥海バイシクルクラシック自転車載映像の5倍速編を、まず初日分からニコニコ動画にアップロード。矢島に至る輪行旅程もくっつけて、「長征&1stステージ」編とした。BGMはできればガレージバンドなどで作りたかったが、時間がないのでまたイースのせつない曲を借りている。

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